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学校案内

本校では、文部科学省の学習指導要領に基づき、国語や算数・数学、社会といった主要教科の学習を通じて、日本語の基礎技能の定着、学年に応じた基礎学力の習得、日本の学校教育や社会への円滑な適応を目指しています。帰国を予定しているご家庭の子どもたちにとっては、日本での教育環境へのスムーズな移行を支援し、アメリカに定住するご家庭にとっては、自らのルーツを大切にしながら日本語を継続的に学べる環境を提供しています。

さらに本校では、言語教育にとどまらず、日本の年中行事や文化活動を取り入れた授業やイベントを通じて、子どもたちが日本文化に親しみ、国際的な感覚や多文化的な視野を自然に育むことができるよう努めています。多様なバックグラウンドを持つ子どもたちが、互いの違いを尊重しながら、日本語を共通の柱として学び合えるコミュニティの構築を大切にしています。

現在は、毎週土曜日にウェブスター大学構内の教室をお借りし、約200名の在留邦人および日系・アメリカ籍の子どもたちが、熱意ある教師と保護者のサポートのもと、日本語と日本文化の学びに取り組んでいます。

セントルイスという多文化都市の中で、本校は日本語教育と文化継承の拠点として、これからも子どもたちの健やかな成長と未来につながる学びを支えてまいります。

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令和7年度の学校方針

【挑戦しよう!私たちの力は無限大】

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沿革

セントルイス日本語教室は、1977年6月、「子どもたちに日本語を学ぶ場をつくりたい」という保護者の思いから、セントルイス郊外のティルズ・パークで青空教室としてスタートしました。木陰で広げた小さな学びの輪は、翌月にはワシントン大学のスティックス・インターナショナル・ハウスの地下へと場所を移し、15名ほどの子どもたちを迎えて本格的な教室として歩み始めました。

 

初代運営委員長の片岡正義氏(バイオリニスト)、初代校長の吉田収氏(宗教家・大学教授)を中心に、お母さんたちが先生として教壇に立ち、教室は一部屋からの出発でした。けれどその小さな一歩は、確かな情熱と工夫で支えられており、同年9月にはエマヌエル・エピスコパル教会に移転し、4名の先生による4クラス体制での新学期が始まりました。輪転機を購入したり図書の貸出を始めたりと、教育環境の整備にも積極的に取り組みました。このころから、国際クラスの前身となる特別学級も設けられ、多様な背景を持つ子どもたちが一緒に学べる場としての工夫が続けられてきました。そして1978年6月、開校からわずか1年足らずでミズーリ州で初めて日本政府から補習授業校として認可を受け、教科書の支給や図書の寄贈、謝礼金の助成といった支援を得るようになりました。運動会、学習発表会、新年会、日本祭など、今や恒例となった行事も、すべて開校1年目から始まっています。当時は運動会の玉入れかごもパン食い競争のパンもすべて手作りでした。日本祭では、日本の遊びや文化を紹介し、串カツブースを出店して学校財政を支える工夫もありました。作文集『いのち』の創刊もこの時期です。

 

1982年には非営利団体としての認可を受け、生徒数も40名を超えました。1980年代以降、日本企業の進出に伴い、一時滞在の家庭も増え、学校は多様なニーズに応える存在として成長していきました。1987年にはセントルイス日本商工会の設立により企業からの支援も広がり、1990年代には生徒数は90名近くにまで増えました。1989年に惜しまれつつ「おやつの時間」が終了しましたが、1992年には「歌の会」が始まり、子どもたちの歌声が毎週教室に響くようになりました。1994年にはニュースレター『かけはし』も発行され、教室内外のつながりがさらに深まりました。2001年度には生徒数が120名を超えてピークを迎えました。その後一部企業の撤退もあり減少傾向となりましたが、2006年からは授業時間を4時間に拡充し、より深い学びを目指して新たなカリキュラムがスタートしました。2021年には対面授業を再開し、現在、生徒数は180名に達しています。

 

教室の場所も、ワシントン大学を皮切りに、教会、私立校、神学校などを経て、現在はウェブスター大学に落ち着いています。移転は6回にわたりますが、そのたびに保護者と教師たちが力を合わせ、よりよい学びの場を築いてきました。時代が変わり、人が入れ替わっても、変わらないものがあります。それは「子どもたちのために」という思いと、保護者の全員参加の精神です。今もなお、保護者一人ひとりが運営委員、教師、クラスペアレンツ、係などの役割を担い、みんなで学校をつくり、支えています。小さな青空教室から始まったこの教室は、今も風通しよく、あたたかな学びの場として、次の世代へとつながれています。

創立40周年記念式典

【創立40周年記念の特別企画】

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2017年11月、セントルイス日本語教室は創立40周年を迎え、記念式典が開催されました。この節目の年には、1年をかけて以下の2つの記念企画が実現しました。

🔹セントルイスバレエ鑑賞会

Novus International Inc. 様のご厚意により、セントルイスバレエの4月公演「眠れる森の美女」へ、生徒と保護者を特別にご招待いただきました。公演後にはバレリーナとの歓談や記念撮影の機会もあり、子どもたちにとって芸術にふれる貴重な体験となりました。この企画の実現には、セントルイスバレエの堀内元様のご尽力がありました。

🔹学校旗の作成

長年の夢であった学校旗の作成も、この年に実現しました。セントルイス日本商工会様からのご寄付を受けて、校内公募で選ばれたデザインが旗に採用されました。デザインには、アーチの上に輝く太陽が活力を象徴し、3つの桜が「保護者・教師・生徒」を表しています。この年は、教室を支えてくださった多くの方々への感謝を新たにし、今後の発展を誓う記念の一年となりました。

40年という長い歳月を思うと、インターネットや携帯電話が普及していなかった時代に、毎週土曜日に授業を行いながら学校を運営することが、いかに大変であったかが容易に想像されます。

時代は進み、グローバル化とテクノロジーの発展により、タブレットを活用した授業やオンライン授業も可能となりました。しかし、日本語教室の本質は40年前も今も変わりません。生徒たちは教師から直接指導を受け、母語である日本語や日本文化を肌で学び、そこで培った知識と精神を糧に、社会へと羽ばたいていく教育がここにはあります。家庭的な温もりの中で、生徒たちは間違いを恐れず挑戦し、私たち教師はそれに誠実に向き合い、丁寧に指導を重ねています。

創立40周年の記念テーマは【栄光への道 感動と共に】。これは、先人たちから受け継いだ貴重な遺産を、次の世代へしっかりと引き継いでいくという、私たちの決意を表しています。私たちは今、創立40周年の感動を胸に、未来へと続く「栄光の道」を歩み始めています。

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セントルイス日本語教室  校歌

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00:00 / 02:26

2019年 3月16日
​作詞 溝口 優生  作曲 的場 英也

 

1.   明るく   楽しく みんなで  集う
      希望に 満ちた   夢をもち
   先生 家族の 支えの上に
   アーチの下で 学んで 行こう
   手を取り合って 未来を 創る
   セントルイス日本語教室

2.   笑顔が あふれる みんなの教室
  三つの桜が 寄り添って
  一つの絆で 心も強く
  輝く明日へ 進んで 行こう
  力合わせて 未来を 拓く
​  セントルイス日本語教室

日本語教室は、1977年にセントルイスで創立され、平成29年に創立40周年記念を行ったと同時に記念プロジェクトとして学校旗を作成いたしました。これに引き続き、平成30年度には、子供達から、先生方、保護者の方まで親しみを持って歌い継ぐことのできる「学校歌」を作成しました。日本語教室にゆかりのある方々から作詞を募集し、当時小学6年生の溝口優生さんの書いた歌詞が選ばれました。曲は日本在住の的場英也氏に作っていただきました。

校歌
所在地

​所在地

Webster Hall 内
470E Lockwood Ave.
St.Louis, MO 63119

​駐車場: Lot D

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セントルイス日本語教室

​St. Louis Japanese Language School

c/o Webster University
470 E. Lockwood Ave, St. Louis, MO, 63119

stljapaneselanguageschool@gmail.com
314-246-7750 (Saturdays only)

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