学校案内
セントルイス日本語教室は1977年6月にミズーリ州で初めて日本国政府から認可を受けた「日本語補習授業校」です。
文部科学省の学習指導要領に基づき、日本語の基礎技能の習得、学年相応の基礎学習力、日本の学校教育および日本社会への適応をめざし、国際感覚や視野の育成にも力を入れています。毎週土曜日にウェブスター大学構内で約100人の邦人、米国子弟が日本語と日本文化を学んでいます。
令和5年度の学校方針
小さな一歩は大きな未来
沿革
教室発足のきっかけは、1977年6月、日本語を学ぶ機会を作ってあげたいという母親達がセントルイス郊外のTilles Parkで自発的に始めた青空教室でした。その活動は翌月にはワシントン大学内スティックス・インターナショナル・ハウスの地下室へと場所を変え、児童15名程度のセントルイス日本語教室として発足しました。
初代運営委員長はバイオリニストの片岡正義氏、 初代校長は宗教家で大学教授でもある吉田収氏。当初は、お母さん方も教師となり部屋数一つでのスタートでした。 しかし、その後の数年間の間に急速に学校としての体裁を整えていきました。同年9月にはエマヌエル・エピスコバル教会で教師4人4クラス体制で新学期をスタート。運営委員会も発足し、輪転機の購入や図書の貸出しなど教育環境を整える努力がなされました。
現在の国際クラスの前身である特別学級クラスもこの当初からありました。1978年6月、実に開校から1年を待たずして、ミズーリ州で始めて日本政府から日本語補習校として認可され、先生への謝礼金一人年間$1200の助成、教科書の支給、図書の寄付などの恩恵を受け始めました。
毎年恒例の運動会、学習発表会、新年会、日本祭への参加は、 すべて開校一年目に始まりました。当時は運動会の玉入れのかごからパン食い競争のパンまですべて手作り。日本祭では、玉入れ、相撲を中心に日本の遊びを紹介し たり、折り紙、習字の実演指導を行いました。学校の財政事情は当初から厳しかったので、日本祭参加初年度は串かつブースを出店して収入源として大きく貢献しました。作文集「いのち」 の創刊も同時期でした。
1982年にはNon-Profitable Organizationとしての登録が認可され、生徒数も40名を超えました。生徒の構成は設立当初は永住・長期滞在者がほとんでしたが、80年代には日本企業の米国進出増を背景に、 企業関係の一時滞在者が急速に増えていきます。1987年10月にはセントルイス日本商工会が設立され、企業からの寄付収入が増大しました。90年代に入ると、生徒数は90名前後に増えました。
子供たちにとって残念だったのは、開校時から続いていたおやつの時間が1989年4月に取りやめになったこと。逆にうれしかったのは、歌の会が1992年4月に発足になったことでした。この時から現在まで、12時から30分間大きな声が校舎にこだまするようになりました。セントルイス日本語教室のニュースレターである「かけはし」の発行が始まったのは1994年4月です。
生徒数は2001年度に120人台に達しピークを迎えましたが、その後いくつかの有力日本企業の撤退もあり減少に転じました。2006年度2学期からは授業時間数を3時間から4時間に変更し、より充実した授業を目指して新しいカリキュラムがスタートしました。また、2021年対面授業の再開となり、生徒数は182名となっております。(2021年9月現在)
教室の所在地は、ワシントン大学から、エマヌネル・エピスコバル教会、カレッジ・スクール、フォントボーン大学、シャーウッド・バプテスト教会、イーデン・セミナリー、そして現在のウェブスター大学へと、開校以来6回移転しました。
場所が変わったり、運営を担う保護者の顔ぶれも何度も入れ替わってきましたが、現在にも脈々と受け継がれているのは、保護者の全員参加と工夫です。現在でも、すべての保護者が、運営委員、教師、クラスペアレンツ、係など何らかの役割で学校運営に参加しています。
創立40周年記念式典
校長 マクレアー 典子
11月の佳き日にセントルイス日本語教室の創立40周年式典を執り行うことを、大変光栄に存じます。
創立40周年記念に関して、1年がかりで2つの大きな企画を進めて参りました。第1番目はバレエ鑑賞です。子供達に繊細で、躍動的な美を味わってほしいという願いが、Novus International Inc 様からのご厚意により、セントルイスバレエ4月公演【眠れる森の美女】に、生徒と保護者をご招待していただきました。
公演後、バレリーナと歓談したり、一緒に記念写真を撮る機会をいただき、想い出の1ページを綴ることができました。セントルイスバレエの堀内元様のご尽力がなければ、成しえないことでありました。
もう一つの企画は日本語教室の長年の夢であった学校旗の作成であり、セントルイス日本商工会様からご寄付をいただきまた。デザインは日本語教室の応募作品の中から選ばれました。アーチの頭上に輝く太陽は私たちの活力であり、3つの桜は「保護者、教師、生徒」を表しています。
この2つの大きな企画を実現できるまでには、たくさんの方々のご支援とご協力がありました。また、平素より日本語教室を支えてくださっているお一人、お一人に、この場をお借りして深くお礼申し上げます。校長の仕事は常に運営委員長との二人三脚です。
歴代の校長先生と運営委員長様にも、謹んでこれまでのご貢献とご尽力に感謝の意を心より表します。
40年という長い歳月を思う時、インターネットや携帯電話が普及していない時代に、学校経営と毎週土曜日に授業を行うことが、いかに大変であったかが容易に想像できます。
グローバル化が進み、テクノロジーの発展により、タブレットを使った授業、オンライン授業などが可能な時代となりました。けれども、日本語教室は40年前も今も変わりなく、生徒は教師から直接に指導を受け、母国語である日本語と日本文化を肌で学び、培った知識と精神をバネにして、学校から羽ばたいて行く教育を行っております。
家庭的な温もりの中、間違いには背を向けず、生徒たちの指導を行っております。創立40周年記念のテーマは【栄光への道 感動と共に】ですが、先人から受け継いだ遺産を未来に引き継いでゆくこと。まさに私たちは、この創立40周年の感動をかみしめながら、次の時代への栄光の道を歩み始めております。
セントルイス日本語教室 校歌
2019年 3月16日
作詞 溝口 優生 作曲 的場 英也